人生における無駄な時間



つい先日めでたく(?)53歳の誕生日を迎えた。私が生まれた1967年の平均寿命は、
男性68.91歳/女性74.15歳であり2020年に至るまでの間、一度たりとも前年度を下回ることなく延び続けている。ここ数年「人生100年」といった言葉を聞くことが増えたが、現実に平均寿命が100年となる日もそう遠くないように思えるようになってきた。
 そこで、仮に人生100年として計算すると、日数なら36,550日、時間なら877,200時間。言い換えれば、人生というのは、生まれた瞬間からその目盛りが減り続けていくことと並行して形成されるということである。
 また、100年間の睡眠時間を平均7時間とした場合、自らの能動的活動可能時間は62,1300時間となる。この数値が長いか短いかは個人の見解による差異があるが、時間は有限でありその価値の大きさについては大部分の人が認めるところだろう。
 「不老不死ではない以上、命の限界は必然である」そう考えれば、いかに能動的活動時間を有効に使うのか?もしくは、有効に使えないにしても無駄な時間をいかに除くかは、人生における大きな課題であることは間違いない。
 そこで、私の考える「人生における無駄な時間3選」を書いてみたい。
 (を探す時間
 日頃から整理しておけば”何がどこにあるか?”は分かる。整理が甘かったとしてもカテゴリーだけでも分けていれば探すにしても手間取らない。「あれどこへ置いたかな?」「確かこの辺に…‥」一生分積み重ねると相当の時間の浪費であることは言うまでもない。
 待つ時間
 代表的なのは渋滞や何かに並ぶ待ち時間。アクシデントとしての思いがけない渋滞は不可避であり受け入れるしか無いとしても、特に意味を持たない時間であり精神衛生上にもかなり悪い。また、何かを求め行列に並ぶなら、並ぶための目的達成が、「待つ『時間』」の貴重さを上回らなければならないと思う。とにかく意味なく待つ時間ほど不毛なものはない。
 リカバリーに費やす時間
 典型的なのは“忘れ物”誰しも一度は経験があるが、例えば「忘れ物を取りに帰る」時の心情を思い出せば、その時間は全く無意味であることが分かる。また、落とし物や気を付けていれば普通に回避できる事故、少しの確認不足が後々大きな問題となって降りかかってくる等々、リカバリーにかかる労力(概ねは時間だが金銭的、関係性的なものも含む)は
相当無駄な要素を含んでいる。

一切の無駄を省き常に有意義な時間を過ごすことは至難の技であり、有効な時間の使い方ばかり考えて「あそび」のない人生も窮屈で面白味が無いが「命=残り時間」とするならば、一度くらいは「無駄な時間」について考えてみることも一興かもしれない。


鈴木 茂和

「家ごと丸ごと生活支援事業部」設立

この4月より、取締役を拝命することになりました山根裕奈と申します。

理学療法士としてアール・ケアに勤めて10年。
今後は会社経営という新たな側面を学び、アール・ケアの今後の発展に尽力してまいります。
能力も器も若輩者ですが、女性という側面で貢献できる分野を開拓し、会社の存続と発展に寄与していく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。

そして、皆様にご報告があります。この度、令和2年8月3日より保険外事業として新しいサービスを始めることとなり、その事業部長として任命されました。
その名も「家ごと丸ごと生活支援」。アール・ケアグループのアール・ケア クルーズとして「家ごと丸ごと生活支援事業部」を設立いたしました。



「保険外事業とは具体的にどんなもの?」「家ごと丸ごと生活支援ってどんなことをしてくれるの?」このような様々なご質問があろうと思います。詳細については、今後始動に向けて皆様に改めてご案内していく予定です。



アール・ケアとして、介護・医療の分野では担えなかったお客様のご要望にお応えできる新サービスとして、地域への密着と生活を真から支える事業展開を行います。
どうぞよろしくお願いいたします。
 

山根 裕奈

1945年 8月6日・・・、そして9日。



日本人にとって、忘れることのできない太平洋戦争終盤。標題の日に、広島と長崎に原爆が投下され、50万とも言われる尊い命が吹き飛んだ。

それから約1週間。日本国民は、屈辱の中で玉音放送を聴くこととなる。
東京も含め、日本各地は焼け野原。
惨状からの出発で、日本国民は家族、そして「向こう三軒両隣」という小さなコミュニティーを頼りに、貧乏からの脱却を目的として昼夜を問わず働きに働いた。

この負戦後の復興が終りを告げた頃、つまり原爆投下から遅れること17年、写真の赤ちゃんが生まれた。

私と写真の赤ちゃんのお母さんとは、ご縁をいただき昔ながらのお付き合い。歳を重ねられたこともあって施設に入居されるとの事で、先日、微力ながらお引っ越しを手伝わせていただいた。

長らく暮らされた「我が家」とのお別れを惜しまれての家財整理となった。思い出の服、無くなったと思っていたアクセサリー、そして多くの写真も見つかった。

このお母さんは、座って首を折って下を向き、黙ってこの写真を見ては「そうそう・・・」と小さく頷いていた。一枚の写真に乗せた深い想いが、写っていない周囲の景色や当時の生活ぶりまでも思い起こさせているようだった。

私が、このお母さんに「この赤ちゃんも、もうオジさんになったかい?」と優しく聞くと、
赤ちゃんのお母さんは頭を上げて、こちらを向き「こりゃ、あんたじゃ!」と声を張った。

そうだった・・・。私は母の引っ越しに来ていたのだった。

 

 

山根 一人

 

 

建設的パラノイアで



去る6月1日に厚生労働省老健局から介護保険最新情報vol.842が発信された。
通所介護、地域密着型通所介護、認知症対応型通所介護の事業所を対象とし、毎月一定の回数に限って、実際にサービスを提供した時間の報酬より2区分上位の報酬を算定できるとした旨の発信。

「この度の新型コロナウイルス感染拡大防止への対応を適切に評価する観点から本取扱いを可能とした」との文言もあったが、実際にどの事業所様も徹底した防止策を講じ、日々努力している中、それでも経営に深刻な影響を及ぼしていることは否めない。そういった状況下を踏まえた国の支援策として、心支えられる国からの発信であると感じました。

しかしながら、緊急事態宣言は全国的に解除された状況ではありますが、現実的にはリスクが0になったわけではなく、「もう大丈夫だろう」と軽視することも時期尚早です。既にコロナへの対応が長期化し、コロナ疲れもささやかれる中、今後は第2波への警戒と対応を継続していく必要があります。特に私たち介護事業者は、まだまだ気を抜くことは出来ません。どこか心の中で「いつまで続くのか、クラスターが発生したら」とネガティブな妄想(パラノイア)が広がってしまいがちですが、そこに留まるのではなく、これを建設的(ポジティブ)に捉え、対応として適切なアクションを実行しなければならないと感じています。

マイクロソフトのビルゲイツの言葉をお借りすると「常に恐怖を感じて経営すべきだ。ただし、恐怖を表に出してはいけない。常に最悪の状況を考えつつも効果的な行動をすべき」とも言っています。

この難局を建設的パラノイアで捉え、社員同士はもちろん、同業者間でも協力し合いながら乗り越えていきたいと思います。

小馬 誠士

30周年と20周年

アール・ケアは今年の12月に30周年を迎えます。

創業から30年というこの節目はとても喜ばしく、私自身もとても楽しみにしていました。

 

昨年より、この周年に対して企画を立ち上げ、検討を進めてきましたが、昨今のコロナ渦中により企画は全てボツとなりました。きっとこの輝かしい通過点はひっそりと通り過ぎていくのだろうと思います。

 

今から20年前の2000年に私はアール・ケアに入社しました。当時の私は在宅リハビリがしたい!とメラメラと熱意をもってアール・ケアの門戸を叩いたわけでもなく、入社を希望した理由は学校からアール・ケアの求人を紹介され、初めてこの会社を知り、その会社の社長が非常勤講師として教壇にたっている「山根先生」だと知り、あのおもしろい先生のところだと楽しそう!と興味を持ったからでした。社長との面接では面接らしい話もなく記憶にあるのは、好きなことはなにか、在宅をやってみたいと思うか、という質問で他は今となっては覚えていませんが、とても楽しい時間だったと記憶しています。後日現場体験としてS先生に一日見学同行をさせて頂き、その帰りがけにS先生が社長に「まぁいいんじゃないでしょうか」と電話報告をされ、採用を通知して頂きました。

 

この「まぁ」程度で仲間に加えて頂き、20年が経過しました。

20年を振り返えってみると、様々な思い出があります。

 

何となく楽しそうと思い携わることになった訪問リハビリの現場は、当時の先輩方と「最後の砦」(当時の地域では在宅でリハビリテーションを受ける環境は極めて少なく、自分たちが受け入れをを断ると他に提供機関がないためリハビリテーションを受けることができない状況でした。)として絶対に依頼を断らない、とメラメラと熱意をもって臨み、関わらせて頂いた方々から理学療法士として、人としてだったり、人生とは?、死とは?地域とは?家族とは?など、様々な教授を頂きました。

 

20年前に入社した頃のアール・ケアは約30名程度の社員数で、介護保険が開始した年でもあり、訪問看護、訪問介護、居宅介護支援のみを提供する会社でしたが、その後、グループホーム、デイサービスと事業が増え急激に変化していく中で現場とは全く異なる業務も経験させて頂きました。

 

ホームページビルダーによるホームページの制作、エクセルの関数を駆使した運営管理ツールの作成、イラストレーターやフォトショップを使用した広報物の制作、三角スケールを手に新規デイサービスの建物設計の打ち合わせから完成検査の立ち合い、設備機器メーカーさんとの物品の選定やネットワーク構築などに始まり、弁護士さん、社会労務士さん、司法書士さん、行政書士さん、税理士さん、弁理士さん、銀行さん、行政機関の担当者さん、レセコンのベンダーさん、OA機器メーカーさんなどなどなど、様々な業種の方々と関わらせて頂く中で、たくさんの経験と学びを頂きました。これらが今の私をつくっており、この経験をさせて頂いたアール・ケアには言い表せない感謝の気持ちがあります。

 

何も知らなかった「まぁ」くらいの人間がどうにかこうにか今日まで来る間に、3児の父にもさせてもらいました。

こんな私は自分自身のことをとてもラッキーだと思っています。

 

こんなことを、コロナ渦中にひっそりと入社から20周年を迎えたタイミングで振り返りました。10年後、20年後に自分自身がどうなっているか楽しみです。これからも様々なことにチャレンジしていきたいと思います。

 

挑戦はまっ先に。サービスはまっすぐに。

山 寛幸

 


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