1945年 8月6日・・・、そして9日。



日本人にとって、忘れることのできない太平洋戦争終盤。標題の日に、広島と長崎に原爆が投下され、50万とも言われる尊い命が吹き飛んだ。

それから約1週間。日本国民は、屈辱の中で玉音放送を聴くこととなる。
東京も含め、日本各地は焼け野原。
惨状からの出発で、日本国民は家族、そして「向こう三軒両隣」という小さなコミュニティーを頼りに、貧乏からの脱却を目的として昼夜を問わず働きに働いた。

この負戦後の復興が終りを告げた頃、つまり原爆投下から遅れること17年、写真の赤ちゃんが生まれた。

私と写真の赤ちゃんのお母さんとは、ご縁をいただき昔ながらのお付き合い。歳を重ねられたこともあって施設に入居されるとの事で、先日、微力ながらお引っ越しを手伝わせていただいた。

長らく暮らされた「我が家」とのお別れを惜しまれての家財整理となった。思い出の服、無くなったと思っていたアクセサリー、そして多くの写真も見つかった。

このお母さんは、座って首を折って下を向き、黙ってこの写真を見ては「そうそう・・・」と小さく頷いていた。一枚の写真に乗せた深い想いが、写っていない周囲の景色や当時の生活ぶりまでも思い起こさせているようだった。

私が、このお母さんに「この赤ちゃんも、もうオジさんになったかい?」と優しく聞くと、
赤ちゃんのお母さんは頭を上げて、こちらを向き「こりゃ、あんたじゃ!」と声を張った。

そうだった・・・。私は母の引っ越しに来ていたのだった。

 

 

山根 一人

 

 


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